Oct 6, 2009

Shana Tova!

9月18日の日没からイスラエルではユダヤの新年が始まりました。今年はユダヤ暦5770年に当たります。今回はニシムの実家に家族が集まり新年を迎えました。今年の参加人数は18,5人(0.5人はお腹の中)義母さんは何日もかけてごちそうを準備しました。近くのシナゴークからは新年のショフェット(角笛)が聞こえてきて、料理もいいにおいがしてきて、少しずつ家族が集って来ます。来た者からテーブルセッテングを手伝います。恵伝はお風呂に入ってから新しく買ってもらった服を着てうれしそうです。みんなが集ると席について、最初に蜂蜜に浸したリンゴを食べます。これは新年が甘く良い年になる様にと願って食べるのです。そのあと義父さんがワインとパンの祝福を捧げてから食事が始まりました。子供達は先に食べてたりなどで恵伝とカイはすぐに席を立って遊びだしました。最近の恵伝は他の子がやる事を真似します。恵伝はカイを言う言葉、行う仕草逐一真似てます。そうやって新しい新年は楽しく過ぎていきました。

Sep 7, 2009

South Padre Island

アメリカの大学は8月末に新年が始まります。そのため借りていたアパートの住人が戻ってくるため,私達は8月21日にイサカを後にしました。ただイスラエルはまだお休みなので(特に大学はユダヤ新年が終わった後10月から始まります),せっかくアメリカに来たのだからとニシムの従兄弟がいるテキサスの南端,メキシコ湾に面したサウスパドレ島に行きました。同じ国内とは言ってもイサカから飛行機で約5時間,ニューヨーク,ヒューストンと2回乗り換えをして,ブラウンズビル国際空港に着きました。国際空港と言っても小さな空港で,国外線とはメキシコです。ここはすぐそこにメキシコとの国境があるのです。だから町を歩いている人たちもメキシコ系が多く,気候もトロピカルです。そしてメキシコ湾の沿岸に沿ってできた砂丘の島がSouth Padre Islandなのです。でもこの島は実はリゾート地として周辺では有名で春から夏にかけて多くの人たちが押し寄せる所です。こんな所になぜイスラエルの人がいるのだろうと思う方もいるでしょうが,ここはイスラエル人のサクセスストーリーの現場なのです。実はこの島が注目されだしたのは20年ほど前。それまで,飲酒に年齢制限のないメキシコで夏休みを謳歌していた学生たちが,だんだんメキシコで犯罪に巻き込まれるのを恐れ,国境を渡らず手前のこの島に注目したのが発展の始まりでした。最初にやって来たイスラエル人たちはまだ未開のビジネスチャンスのあるこの町で,観光客相手の土産物屋を初めて,徐々に成功していったのです。私達が滞在したのはそんな成功者の一人,従兄弟の遠縁に当たる人が持っているコンドミデアムした。そのコンドミニアムはジャグジー付きプールがあり,私達は毎朝おきると,プールでひと遊びしました。そして日中は暑いので昼食後,昼寝をして夕方従兄弟たちと海に行きました。海は遠浅で波も適度な強さで,恵伝は楽しそうに波を追っかけたり,砂で遊びました。また従兄弟の娘,ナタリーは丁度2歳で2人はすぐに打ち解けて遊んでいました。また近くには馬の牧場があり馬で海岸線を走る事もできます。ニューヨークでポニーに乗ってすっかり気に入った恵伝はここでも乗馬を経験しました。今回は本当の馬です。しかもニシムが綱を持って馬を引きます。馬にえさをあげたりしながら,恵伝は乗馬を楽しんでいました。
サミーのお姉さんのダリア
父と娘 2組
乗馬を楽しむ恵伝

Aug 5, 2009

Ithaca

コーネル大学のある町、イサカはとても美しい自然に囲まれています。何でもコーネルはIVYリーグで最もきれいなキャンパスなんだとか。本当に納得できるほどきれいなところです。先週のニューヨークのごみごみしたところから、数時間のドライブでこんなに静かできれいなところがあるんですね。イサカはカユガ湖の南端にあり、回りにはたくさんの川や滝があります。また土地の起伏もあり、高台からの夕日を眺めるのはとても穏やかに亜時間です。 またここに来て、恵伝は水遊びが大好きなことが判明しました。週末のファーマズマーケットでは湖の湖畔でほかの子供たちが遊んでいると自分も入りたいと私の手をひっぱて服のまま水に入りました。最初はひざのところまで、そのうち胸まで水に浸かってうれしそうに歌っています。昨日はイサカの滝を見に行くと、最初は滝つぼの音に驚いていましたが、何人かの人たちが泳いでいるのを見て、自ら服を脱ぎ裸になって水に入っていきました。水は冷たく太陽の光でほてったからだを冷やしてくれます。そこでしばらく遊びました。チャンスがあったら彼女に泳ぎ方を教えてみようと思います。 イサカの滝で
コーネル大の植物園
カユガ湖の入って
コーネルのキャンパスで
これもコーネルのキャンパスで

visiting Big Apple

7月の最後の週に私たちは親戚の家に行きました。そこからNYCはもうすぐ。そして恵伝は私のいとこの子供たちと一緒にたくさん遊びました。みんなで近くの子供フェスティバルに行って、顔のフェイスペイントをしてもらったり、音楽を聴きながらおどったり、映画を見たりしました。週末にはセントラルパークで水遊びをして大喜び。たくさんの子供たちがいましたが、普段なら初めての場所におっかなびっくりな恵伝も、早く水で遊びたくて自分から服を脱ぎ始めました。そして準備ができると一目散に走っていきました。 ニシムが戻ってきた後は、家族でタイムズスクエアを散歩しました。たくさんの観光客やいろとりどりの看板、久しぶりの都会です。ちょうどブレイクダンスのショーが始まり、一所懸命やっているダンサーの姿にエデンは食い入るように見ていました。そしてみんなと一緒になって握手をしています。また道に立っていたミッキーマウスとミニーマウスと一緒に写真をとってうれしいようでした。この商売はなかなか面白く、観光客の多い街角に立って、彼らを写真を撮ると、1ドル支払う仕組みです。ほかにもセサミストリートのキャラクターなどが立っていました。またタイムズスクエアのトイザラスは遊園地のようです。観覧車や巨大な恐竜が動いたり、家族ずれの写真を撮るサービスなどもあり、エンターティメントの国アメリカという感じです。そういえばタイムズスクエア自体もただの街角なのに(しかもくさくで空気が悪くても)観光地になっているのは映画でおなじみの風景に自分がいることなのでしょうね。アメリカ自体が多くの外国人にとっては映画の世界なんですね。
描いてくれたお姉さんに英語で話しかけられて戸惑う顔
セントラルパークで遊んだ帰り疲れて眠そうです。
エデンは本当のミッキーとミニーと思っています。
タイムズスクエアにて
ちょっと新宿に似ていませんか?

Jul 23, 2009

finger lake

森の中のワイナリーにて 家の近くの芝生で
途中でとまったダイナー
車の運転席でハンドルを持って嬉しい
私たちは、ニューヨーク州のほぼ真ん中にあるIthaca(イサカ)と言う町に来ています。この町は一見なんのへんてつもない小さな田舎町ですが、アイビーリーグの一つのコーネル大学があります。またこの地域はフィンガーレイクと呼ばれるいくつかの細長い湖の一つがあり、ワインの生産地としてニューヨークの町から週末、観光客も沢山やってくる所です。コーネル大学はこの湖の東側の高台を中心に広大なキャンパスが広がっています。キャンパスの中には湖に流れ込む急流もあり、自然も豊かです。建物は古いイギリススタイルのレンガ造りから近代風のものまでがこの広いキャンパスに点在しています。ニシム曰く図書館の蔵書がすごいと言っていました。確かにカタログされている本にはいろいろな言語も含まれ、日本語の本も多数ありました。 そして週末、このフィンガーレイク地域をドライブしました。途中で昔の交通手段である運河の利用で発展した町の歴史博物館を見学したり、ワイナリーで試飲したりしながらドライブしました。ある町では小さなミュージックフェスティバルは催され、恵伝はそのイベントが気に入った様子で音楽を聴きながら踊っていました。同じような田舎町でもアメリカ南部とは違い、そこのは建国初期のアメリカ史を担った地域という風情があります。そして緑の美しい丘陵地域が永遠の続きます。コンパクトにまとまった所にいろいろなものが凝縮されたイスラエルとはぜんぜん違い全てが広大なアメリカです。

Jul 22, 2009

fly to America

ニューヨーク行きの飛行機の中で 待合室で眠り込むえでん
ロンドン空港内のパブの前で買ってもらったお絵かきセットと
7月9日、私と恵伝はアメリカにやってきました。ニシムは一足先に渡米していました。約3週間ほど母子家庭だった間、恵伝は毎日「Abaはどこ?」と寝る前に聞いてきます。その度に「アバはアメリカ」と答えていたので、アメリカという言葉は覚えました。ただそこが実際どのくらい遠いのかは実感がありません。とうとう私たちも出発する日、今日は沢山飛行機に乗るよといって説明しました。実際私たちは、テルアビブーロンドンーニューヨーク、そして国内線に乗り換え、約24時間の旅でした。最初の飛行機では2時間ほど寝て、ロンドンのヒースロー空港では、お絵かきセットを買ってあげると嬉しそうに走り回っていましたが、4時間の待ち時間で途中でくたびれてベビーカーで居眠りを始めました。私は取り合えず待合席で時間までつぶします。ロンドンの空港は、インドやパキスタン系の人、中東の人など世界中から人が集まっている風情があり面白いなと思いました。また空港の待合室もなんとなく長距離列車の待合室のように庶民的で、皆思い思いに時間を過ごしています。次のニューヨーク行きの飛行機では昼寝をした恵伝はパワー全快で、オンディマンドの番組を見たり、機内食やまた初めてアイスクリームも食べました。私は夜中の3時に家を出たままあまり寝てなかったので、とても疲れて、何度も恵伝に寝るように言いましたが、彼女は通路を走って喜んでいます。折角4人がけシートを彼女と二人で使えるのになかなか寝かせてくれません。それでも最後の2時間くらいからようやく寝てくれました。そしてニューヨーク着陸時もすっかり寝入っています。それを見たスチュワーデスの一人が飛行機の外までに荷物を運ぶのを手伝ってくれました。そのままベビーカーでも眠り込んでいます。考えて見ればニューヨークは午後4時でもイスラエル時間ではもう夜中です。今度は国内線に乗り換えるので一旦荷物を受け取り、隣のターミナルへの移動が一苦労でした。それでも何とかチェックインをして荷物を預け、乗り場に行こうとすると手荷物検査場で、ベビーカーも検査するので、靴を脱がせ、抱いた状態で金属探知機を通れと言われました。米国入国時も係官の対応が威圧的だったけど、ここでもそうです。しかも誰も手を貸してくれません。イスラエルの空港保安検査は世界で一番厳しいと言われていますが、靴やベルトを脱ぐ必要はないし、ベビーカーも子供を乗せた状態で係官が通してくれました。たまたま飛行機を降りるときに1リットルの水ボトルをもらったのでそのまま持っていたら、これを持っていくのは出来ないの知っているだろと係官に言われたので、「どうぞ捨ててください。しかし誰も子供を抱いているのに手伝ってはくれないのですか?」と言ったら、その瞬間、係官の表情が人間らしくなり「僕がベビーカーを広げてそちらにもって行きます」と言ってくれました。なんだかアメリカの方がテロの恐怖にヒステリックになっている感じがします。ロンドンでも色々な人が空港にいたけどこんなに威圧的ではなかったです。アメリカも随分変わったなと思いました。最後の国内線は1時間ほどのフライトですが恵伝はずうっと横になって寝たがります。それでも離陸時はシートベルトをして座らなければならないので、何とか座らしていたら、とうとう嘔吐してしまいました。考えてみたら出発してからほぼ24時間たっています。その間ゆっくり横になって寝ることも出来なかったのです。私だって疲れているのに、まだ2歳半の彼女が疲れていないはずはありません。それでも彼女は一度もぐずらず、もうすぐお父さんに会えるねといって楽しみにしているのです。やっと到着して、ニシムに会えた時は半分夢の中でしたが、それでも嬉しそうでした。 追伸;この時ニシムに犬のぬいぐるみを貰いました。その後このぬいぐるみを持ち歩きながら、恵伝はいつもお父さんがくれたのよと私に言います。

Jun 29, 2009

June

シャブオットの祭りに、家族でキネレット(ガリラヤ瑚)にキャンプに行きました。近年の日照りで湖岸が10mほど後退して以前は湖底だった砂地にテントを張りました。またたくさんの美しい貝殻を見つけました。当日は大変暑く、水の中はとっても気持ちよくて、恵伝は一人でもたったったと走って、海に入ろうとします。そのたんびに私達は追っかけていきます。その後みんなでBBQをしたり、砂で遊んだりしました。
一日中遊んで、そろそろお休み
海で遊んで、今度は砂遊び
まずは海を見に
ガリラヤ瑚に着ました。
ペサハ(過ぎ越の祭り)からシャブオットにかけて、たくさんの休日があります。そんなある日初めて、エルサレムの動物園に行きました。動物を見るのが大好きな恵伝は大喜びでした。友達の子供達ともあって、彼女たちにいろいろ動物園を案内してもらい楽しかったようです。この時の思い出が良かったようで、先日の土曜日にも動物園に行きたいと聞いたら、すぐに行きたいといって自分から出かける準備をしていました。
エルサレムの聖書動物園

May 21, 2009

May

17日はニシムの誕生日だったので家族でハヤルコンにピクニックに行きました.
ハヤルコンはテルアビブのセントラルパークのように人々の憩いの公園です
ローマンとAbu-Goshの十字軍時代の教会中庭にて
ここも十字軍時代の建物が残るアクアベラ(Ein Hemed)にて
先月からイスラエルは夏時間になり,日も長くなりました.また春から初夏に向かって季節は変わります.だんだん外に出るのが気持ちよい季節です.最近は休日には友達や家族を誘ってピクニックに行きます.エルサレムでは同じ京都生まれのローマン君と良く行きます.ローマンは一歳上の男の子.活発に遊ぶのを,恵伝も真似てついていきます.また保育園で年長クラスの韓国人留学生の娘ハランちゃんは同じ大学寮に住んでいるという事もあり,帰りによく一緒に帰ります.ハランちゃんは口が達者なので彼女の口まねをしながら恵伝はいろいろなヘブライ語の表現を覚え、家に帰ってもまねして何度も繰り返しています.最近発見したのですが、恵伝は同じ言葉でも私にいう時には日本語で、他の人にいう時にはヘブライ語を使うという事でした.また違う言語という認識がないのかと思っていた私はびっくりしました.2歳を過ぎてたくさん言葉が出る様になって来ました.

Apr 21, 2009

Pesah holiday-1

Bat-Yamの海が奥に見えます.丘一面が花畑になっていました.
Tel avivの港、休みなのでいろいろなイベントがありたくさんの家族ずれがやって来ていました.
先週までペサハ(過越の祭り)で保育園が10日間も休みになりました.私と恵伝は親戚の家を渡り歩きました.最初の2日間は私がエルサレムで仕事があり、保育園のママ仲間に一日預け、夕方ニシムの姉オスナットの所に預けにいき、翌日早朝エルサレムに戻って仕事をしてから、再びBat-yamに戻り、Lela-seder と呼ばれる過越の始まりの食事をニシムの実家で家族全員で祝いました.(注:ユダヤ教では一日の始まりは日没からなので)去年は神戸のシナゴークにいったのですが、恵伝はまだ小さく会の間ずうっと寝ていたので、今年が彼女にとって初めてのペサハ体験です.今年はニシムをのぞき家族全員そろい(総勢18人とお腹に一人)にぎやかで楽しい晩餐でした.朝から従兄弟たちと遊んでいた恵伝は食事か終わり,それぞれが家に引き上げようとすると自分も彼らたちと行くといって初めて見るような号泣をしました.それを見たオスナットはかわいそうだと自分の子供達と一緒に恵伝ともう一人の従兄弟を連れて行きました.初めての外泊です.30分くらいしてから電話してみると大丈夫とのことでそのまま一泊させました.翌朝,私の方が心配で夕べ遅かったにも関わらず早く起きてしまい、9時頃尋ねていってもまだみんな寝ているようで出直しました.結局昼頃電話をして起きているのを確認してから迎えに行くと恵伝はまるでそこの家のこのように私を向かい入れてくれました.オスナット曰く子供達と一緒になってベットで寝ながらテレビを見たり,一緒にご飯を食べたりしたそうです.2歳になってもう完全に赤ちゃんから子供に成長して他の子供達に一生懸命ついていく恵伝ちゃんです.

Apr 4, 2009

buy-buy Obaachan

 とうとう先週の木曜日に恵伝のおばあちゃんは日本に帰ってしまいました。5週間いてくれたのですっかり馴染んでいました。おばあちゃんがいる時はふざけてばかりいたけど、帰ってしまったら、私が貸していたフリースを着るとそれはおばあちゃんの服だから着てはだめだと怒ります。またおばあちゃんが一番好きで今度日本に会いに行くんだそうです。帰る前に3人でJaffaの町を散歩しました。芝生で転がっていると空に空港に向かう飛行機が飛んでいます。あの飛行機でおばあちゃんは帰るんだよと教え、空港でも寝てる恵伝を起こしてバイバイをしてそれなりに帰った事は納得しているみたいです。 今回はまず一足先にニシムが日本に旅立ち、そして少しずらして母が帰国したので、去年のようなショックはひとまず無いようです。それとも恵伝も成長してすこしずつ状況が理解できる様になったのかも知れません。
私も母もみんなで芝生に寝転がりたかった恵伝
海辺を二人で歩いてます。前方のビルはもうテルアビブ
おばあちゃんからおにぎりをもらう恵伝
隙間から海が見える事が嬉しくてはしゃいでました。

Mar 30, 2009

Spring season

3月もあと2日。あっという間に春爛漫のイスラエルです。本日エインカレムというエルサレムの近くの村で、花畑を見つけました。黄色いカラシナ、野生のアヤメ、ポピー、カモミールなどよく見るといろいろな花が咲いていて、恵伝は匂いをかいだりして楽しそうでした。
また母が日本からやって来て、恵伝は「おばあちゃん」という言葉を思えました。私とは違って優しくしてくれるので、甘えん坊になる恵伝ちゃんです。
この日、お披露目用ドレスを見つけました。着せてあげるとすごく嬉しそうなので、写真をとろうとするとなぜか目をつぶる恵伝。何枚もとったのに、みんなこんな風に目とつぶっています。
本当に今月は母がいたので、私はとっても楽でした。仕事で2回ほど、一週間ずつ家を開けても心配せず、家に帰ればご飯もできていて、とっても楽しい時間でした。最近の恵伝はだんだんその人によって、自分の出し方を変えます。私と恵伝の関係、母との関係、義母との関係などそれぞれです。でも恵伝はみんな大好きです。

Feb 10, 2009

2 years brithday

We went to Safari park in Ramat Gan for her brithday 
Eden's brithday party 
先週の土曜日,2月7日で恵伝は2歳になりました。2歳はこちらではterrible twoと言って,第一反抗期です。恵伝も最近は何でもロ=ヘブライ語でNO,と言います。例えば「お風呂はいろう」「ロ」「寝よう」「ロ」ってな感じです。そしてできる事も増えて来たけど,できない事もあると,癇癪をおこして,ぶったり,投げたり,昨日は人形の髪の毛を引っ張っていました。最近反省しているのは,私がつい恵伝の考えを先回りして,言う前にこちらから手を貸すので,恵伝は言葉で自分の意思を伝えることがまだ未熟なようです。また彼女は2重言語生活をしているので(日本語とヘブライ語)どの言葉で伝えるのか余計時間がかかります。イスラエルでの親子関係を見るとこの言葉で表現する事はかなりしっかりと教えられているよう感じます。5−6歳でもしっかり自分の考えを伝えているし,親も子供に言葉で表現するようにしつけています。
私も最近は気をつけて言葉で表現する様にしています。そうしたら,恵伝もだんだん私に向かって日本語を言う様になって来ました。(私が言った言葉を繰り返す様に)例えば朝「恵伝起きる?」と聞くと「恵伝起きる」と答えて起きて来ます。また私達を起こすときも「イマ(=お母さん),起きる」と言って来ます。片言ですが,意思の疎通が少しずつできる様になって来ました。
追伸:本日はイスラエルの総選挙,投票終了一時間経って,途中経過はカディマのチィッピー•リブニーが有力です。ここ数日ニシムや他の家族たちは誰に投票するかよく話していました。ところで先日ヘブライ大学にリブニーが講演に来た時,珍事件がありました。熊の格好をした学生が立ち上がって,リブニーに「暑い暑い」と訴えたのです。そうイスラエルではどうしてもパレスチナ問題が先にきて,今世界的課題の環境問題がおろそかです。リブニーは笑いながらしかしこの問題も考慮しなければいけないと話したそうです。なかなか粋な訴え方ですよね。

Jan 18, 2009

2009 starting with ....

年が明けて、3週間、ガザでの戦争も3週間が経ちました。エルサレムはガザから遠い町の一つなので、ロケットが飛んでくる心配も無く、私達は安穏と暮らしていましたが,先週ちょっとしたハプニングがありました。
まず水曜日の昼1時ごろサイレンがエルサレムの町に鳴り響きました。たまたま恵伝は風邪で保育園をお休みしていて私と家にいました。私は取りあえず外の様子を見に窓に行きましたが,風景は何も変わらず何人かが私の様に様子を見に外に出て来ているだけです。その後ニュースをつけてみましたが何も案内はなく,ニシムは授業中で電源が入ってなく、家の防護部屋である寝室に恵伝を連れて行くか私は考えました(イスラエルの家もしくは住宅地には防護部屋が必ずあります)結局これといった違いはないのでそのままにしていました。30分後にニシムのお姉さんが電話で”サイレンがエルサレムで間違えて鳴ったけど大丈夫?”との知らせがあり,あのサイレンの理由が分かりました。夜のニュースでもこの珍事が報道されていました。時期が時期なのでみんな一瞬ぎょっとしたようです。
金曜日の夕方は家の近くで銃砲の様な音が何回か聞こえました。夕食の頃また鳴ったので窓を開けて様子を見てみました(アラブ人たちがよく結婚式で花火をあげる音が銃砲の様に聞こえる事も多いので)ただこの時は大学の裏の方から“アラーアクバル”と叫ぶ声が聞こえて来ます。銃砲の音も断続的に聞こえ、空が一瞬明るく見えました。私達の住んでいるあたりはちょうどアラブ人の村イサウィアなどが丘の東斜面ありその辺りから聞こえて来ます。ニュース速報などを調べたけれどこのことは何も書かれていません。30分くらい銃声が断続的に鳴り響いたあと静かになりました。金曜日はイスラム教徒の合同礼拝が行われます。今週は戦争中という事で、エルアクサ•モスクには男性は50歳以上のみ入場が許可されると朝報道がありました。これは礼拝後のデモから暴動に発展するのを防ぐ目的があります。多分それで町の外でデモが行われたのでしょう。結局この事はその後も報道されなかったので、死傷者などはなく終わったのでしょう。
そんな中イスラエル側からの一方的な停戦が昨日から始まりました。しかし今日,日曜日も相変わらずロケットが飛んで来て、イスラエル側のヘリコプターもガザ上空を飛んでいる映像が流れています。昼間歯医者でそんな映像を眺めていたら、ニシムが私に”case fireなのに”とつぶやいた瞬間,隣のおばさんもこちらを見て深いため息とともに同じ言葉を繰り返しました。
それでも夜のニュースでは予備役で集められた兵士たちが家に一旦帰って来た映像やガザ内部から戻って来た兵士たちの映像も流れ、しばらくイスラエル側は様子を見る態勢に入ったようです。
追伸 恵伝は元気です。