Aug 15, 2013

2013 Summer After of Japan

イスラエルに戻って来て1週間。会う人会う人、恵伝が日本人らしくなったと言われます。確かにバイバイなどの手の振り方が小さく、イスラエル人には気づいてもらえません。声も小さく話すので聞いてもらえません。日本人にとっては、イスラエルでは何でも大げさに表現しないと相手に自分の意志を気づいてもらえないことがわかりました。たった4ヶ月の滞在でも劇的です。今までは言葉の上達に目を奪われていましたが、仕草なども変化していたのですね。それでも早いもので、恵伝はだんだんヘブライ語も戻って来ています。日本ではほぼ100%日本語で話していましたが、今日はクフィルにヘブライ語で説明していました。日本の生活とこちらの生活に揺れ動く恵伝です。
 入学式
 マスクをする二人
 ニシムの誕生日
 京都水族館にて
 七五三写真
 運動家、疲れた〜
 大好きなとしと大好きな回転寿し
 始めてのパフェ
学校で育てた朝顔

May 15, 2013

In Japanese school life

今年の4月から京都で恵伝は、一年生になりました。日本に行く前に本などで日本のことを知ったり、小学校の様子を見たりしたので、出だしは思ったよりもうまく滑り出しました。が、やはり予想してたように5月に入り、恵伝は学校生活に抵抗を示すようになりました。
対象的なのは、クフィルで来た2ー3週間は保育園に行って親と別れると泣いていました。最初に自分の感情をちゃんと表現した分、今はその環境に慣れお友達もいっぱいです。
やはり新しい環境に入るのは難しいもので、特にそれが子供ではその発散方法を見つけてない者には難しいようです。最初に我慢した分今はその不満が爆発しているとこです。親としてはそのストレスをどのようにうまく発散させるか毎日、先生方と試行錯誤です。
ただ今回の経験で自分の学校時代と比べると、随分と日本の学校もこのような事に気を遣ってくれるようになったと今回思いました。担当の先生だけではなく、教頭先生や校長先生みんなが気にしてくれています。またこのような子供たちの為の特別に対応できる人員もあるそうです。
話は変わりますが、ニュースなどで最近の日本の家庭での児童虐待の多さにもびっくりしました。先日クフィルが軽い捻挫をし、休日で救急車を呼んだ時、警察に細かく怪我の原因を聞かれました。その時このようにして虐待があったか調べるのだなと思いました。
また恵伝が、みんなが持っているので防犯ベルが欲しいといっています。確かに一年生になった途端、学校に自分で行ったりと必ず親が付き添うことがなくなりました。楽な分こちらは心配ですが、私としては防犯ベルより人に助けを求めるコミュニケーション方法を教えたほうが良い気がします。






Sep 2, 2012

Thailand

オーストラリアからタイヘ。空港を出た途端ムッとする熱気に包まれ、久々のタイです。思えば15年前が最後のタイ訪問またそれはイスラエルに初めて行く道筋でした。いつもバックパックを背負っての格安の旅でいっていたタイに子どもとの訪問。事前にホテルも予約し、滞在地もカオサンからサイアム地区にアップグレードして、、初日は久しぶりの南国の熱気と階段や縁石交通量の多さなどにバテ気味でしたが、徐々に慣れて来て買物やタイ料理を満喫。パタヤではプライベートビーチのあるホテルで恵伝はプールで泳ぎまくっていました。今回の訪問でバンコックに高層ビルが増えた事、また沢山の湾岸諸国の家族旅行者やパタヤのイラン人相手のバー街など変化を感じました。。そして全体的にとっても明るいパワーを感じました。

Aug 31, 2012

Last day in Sydney

今日はシドニー出発の日です。約5週間の滞在はやっぱり最後は短く感じました。なぜなら街に慣れ、お友達ができた頃に帰ることになるからです。また週末も4回では離れたところ出かける回数であっという間でした。なんとか先週最後の日曜日にブルーマウンテンに行ってきました。そこにあったアボリジニセンターも見学しました。いつもサーキュラーキーにいくとアボリジニの人たちがあの長い楽器で演奏しているので恵伝が興味を示しセンターのショウを見たいといいました。ショウは20分くらいですが、最初に生活や道具の使い方などの説明があり、最後にダンスを披露してくれました。説明で印象に残ったのは、戦いで相手が血を出す痛手を追ったり倒れたら勝ちで勝負が決まるそうです。相手を殺すまで闘う事はしないと、後でニシムと面白いシステムだね、中東にも必要だねと話しました。オーストラリアでは是非アボリジニについて知りたいと思っていましたがシドニーという大都会ではあまり機会がなく、博物館などの展示だけかと思っていましたが最後に少しだけ触れる事ができました。また山の景色もなんだか神聖な場所として感じました。

Aug 17, 2012

In Sydney

シドニー生活も半分を過ぎ、残り2週間となりました。最初の寒いは最近は慣れて、滞在を楽しむ余裕も出て来ました。オーストラリアには面白いシステムがあります。playgroupといって1ー5歳位の子供と親たちの会合です。何でも幼児の保育園代が高いのもあって3ー4歳位までは家で面倒を見てる人が多くそのような親子のための遊び場として国が場所を提供して参加者の自主的に作って行くのです。またいろいろな民族が集まる国だけあって色々な言語のplaygroupもあります。ネットで調べたら日本語のグループとヘブライ語のグループが近くにあったので、あまり英語がわからない恵伝が話せる相手を探しに行くことにしました。ヘブライ語のグループはなぜかその日はやっていなかったのですが日本語のグループは参加することができました。私たちが滞在している地域はユダヤ人(イスラエル人?)が多いらしく、私たちがイスラエルから来たというとほとんどのお母さんたちは、ポジティブな反応で中にはヘブライ語を知りたいと言う人もいました。今までにない反応でした。恵伝も言葉が通じる相手を見つけて満足そうです。







Aug 2, 2012

Summer in 2012

今はオーストラリアのシドニーにきています。7月23日にイスラエルを立ち,香港に三日滞在してからのオーストラリア入りです。時差の関係で、くふぃーるの誕生日(24日)はとても短くこれといったお祝いもせずに過ぎてしまいましたが、2歳になりました。最近はいたずら大好きっ子で静かだなと思うと何かやってもらいたくないことが起こっています。さてオーストラリアはこの時期冬で気温はエルサレムなみに寒いです。(9ー18度位) 異例の暑さだったエルサレムで旅の準備したせいであまり防寒具のない私たちには冬の海風は厳しいものがありますが、滞在しているbondibeachは風光明媚です。これが夏であれば毎日ビーチで子供達の時間つぶしできるのですが、今は30分が限度です。パリに続きできたら夏来たかった場所でした。これがシドニー最初の感想です。

Jun 22, 2012

Kfir starting to walk

最後にブログを書いたのは1月,以来音沙汰なしでしたが,私たちは元気です。今年は2月から4月にかけてツアーが多くそれなりに忙しく過ごしました。2月のはじめには,例年通り母に子守りに来てもらっています。クフィールは母が来る数週間前から歩き始めました。1歳5ヵ月なのでかなり歩きだしは遅かったのですが,すぐにしっかりと一人で歩ける様になり,母も驚いています。今ではちょっとした距離はトコトコととても早く歩いて行ってしまいます。最近はジャンプのつもりで片足をあげてステップしています。また音楽に合わせて大股で歩いています(本人は踊っているつもり?)。そして5月末に母が日本に帰る頃には,家からスーパーまで(8分くらい)歩いて行ける様になりました。
 プーリムの祭りで王子さまになりました。
 ニシムが買ってきたインドの服
 プーリムの日,クラスにて
公園で遊ぶクフィール
さて6月も後半に入り,もうすぐ夏休み。今年はオーストラリアのシドニーに一ヵ月ほど行く予定です。イスラエルからは香港経由かバンコック経由でほぼ1日かかります。さて子ども達はこの長旅に耐えられるでしょうか?