Nov 12, 2011

Moslem Holiday

さて前回書いた恵伝の保育園(Hand in Hand)はそれぞれ3つの宗教の祝日がお休みです.先月はユダヤの新年や仮庵祭などで約10日間の休みがありましたが、今週はイスラム教の犠牲祭で5日間のお休みがありました.このお休みに入る前にみんなでこのお祭りを一緒に祝う夕食会がありました.そこで事前に練習したアラブの歌と踊りを子ども達が披露してくれました.最初はあまり歌っていなかった恵伝も,踊りは男の子と手をつないでちゃんとやりました.また休みの期間,希望者はケイタナと言って一種の休日保育がありました.この日は年齢に関係なくみんな同じクラスで過ごします.先生もいつもの彼女のクラスの先生ではなくいろいろな先生が来ます.せっかく保育園に慣れてきたので,この学童保育に4日間通わせました.そして最後の日だけは休みにして私と一緒に街にピザを食べに行きました.この休日はそれなりに楽しかったのですが、夕方になって恵伝は保育園に行きたいと言い出した.翌日は金曜日でしたが連れて行ってあげました.少しずつですがこの新しい保育園にも慣れてきたようです.ここの教育方針が特別なので、恵伝はよく他の大人達に様子を聞かれます.例えば「アラブ人のお友達でできた?」とか「どんなアラビア語覚えた?」などです.でも保育園の中ではあまりそのような違いは意識せずに普通に一緒に過ごしています。

Oct 6, 2011

Jewish New year -2

実は前のポストは9月に書きかけて再び10月に突入。この間にもまたまた変化がありました。クフィールは一ヵ月たちそれなりに保育園にもなれてきました。今は取りあえず歩きたいようで,つたい歩きしています。意思もはっきりしてきて,何か欲しいと”ウンウン”と言って催促します。あとよく[マーマー」と言っていますが、意味は不明です。
さて問題は恵伝です。前も書いた様に、彼女の保育園は街の反対側にあります。それでもこの保育園を選んだ理由はここの方針が気に入ったからです。それは多文化主義,多言語主義です。言語とはヘブライ語,アラビア語を日常的に使い、多文化とはユダヤ教,キリスト教,イスラム教の伝統を主軸とした文化です。要するに「イスラエル社会の縮図」なのですが、この国が面白いのは教育は通常それぞれのグループがそのスタイルに沿った教育をするので、異なるグループは一緒に座って勉強することがないのです。ここはそういう意味では特別です。しかし保育園が送り迎えがちょっと大変だったので,翌週から近所で同じところに通っている小学生の子達数人と一緒にタクシーの送迎にしました。最初の1週間はスムーズに行って,これは良いと思っていたのですが,2週目くらいから子ども達が車の中で騒ぎだし、恵伝も負けずに彼らをぶったり、最後はタクシーの運転手が彼女を朝,保育園の入り口に残したまま立ち去ってしまったのです。丁度一週間のツアーがはじまった私は朝,テルアビブのホテルで先生から電話でその事実を知りました。しかし違う街にいる私はそれ以上のやり取りができず、心配のなか仕事を続けました。結局その後私の仕事が終わるまで恵伝は保育園に行かず,祖母のところで過ごしました。仕事が終わった時はユダヤ新年のお休みで、今週に入って再び私の送迎で保育園に通いだしました。最初の日は私からなかなか離れず1時間ほど一緒にいました。そして毎朝私と別れるのをいやがります。先生達曰く、行ってしまえば結構ケロとして遊んでいるとのことです。確かに迎えに行くと今度は遊びに熱中してなかなか帰りたがりません。そして今朝,クフィールを保育園に連れて行った時,恵伝の先生だったショシが「新しい保育園に慣れた?」と聞かれた時「うん」と答えていました。先週はショシに戻りたいと言っていたのが,少しずつ変わってきたようです。今回のことで学んだことはやはり新しい環境に入る時は親としてもう少しゆっくり子どもがその場に慣れる様に見守ることの必要性でした。考えてみれば恵伝はまだ4歳8が月、まだまだ小さい子どもなのですが、日常の彼女があまりにもしっかりしているのでつい忘れて恵伝の自立性に頼ってしまったのでした。ところで最近気がついたのですが,恵伝は自分の年を人に言うのをいやがります。いつも年を聞かれると「知らない」と答えているので数字を覚えていないのかと心配していたのですが,どうやら4歳とは思いたくないようです。自分の中では既に6歳くらいのつもりなのでしょう。

Sep 24, 2011

Jewish New Year - 1

夏の初めに書いたブログから、なんと3ヵ月近く経ちますが、子ども達は元気です。この夏は変化が多く子ども達も環境に慣れるのに一苦労です。7月の半ばから1ヵ月ほどまたアメリカのコーネル大学に行きました。今回は恵伝をYMCAが主催する日帰りサマーキャンプとスイミング教室に通わせました。恵伝はまだ英語はあまりわかりませんが,取りあえず他の子のまねをしてごらんと言って送り出しました。ラッキーだったのは日本人の子ども達が何人かいたことです。お陰でこのアメリカ生活では、なぜか恵伝は日本語が上達しました。クフィールはアメリカにいる間に一才のお誕生日を迎えました。行った時はまだ赤ちゃんだったのに帰る頃にはちょっと幼児らしくしっかりしてきて親ながら成長の早さに驚きます。
アメリカから帰ってきてすぐ引っ越しがあり,そして新学期。恵伝もクフィールも新しい保育園になり最初の1週間は怒濤のごとく過ぎて行きました。特に恵伝が通う保育園は街の反対にあり,朝の送りに1時間半かかります。新しい家、新しい保育園,新しい生活のリズム、で親子どもも大変です。

Jul 11, 2011

June, end of year

6月は9月から始った学期が終わり夏休みに入る前の月です。恵伝の保育園は公立ではないのですが,教育省から派遣されている先生がお休みに入るため、早めのお別れ会がありました。また今年はバレエを習いに行っていたので1年の成果を見せる発表会もありました。 恵伝は,近所のWIZOというところが経営している保育園に3年間通いました。1歳7ヵ月からこの7月で4歳5ヵ月になる時期です。3年間同じクラスだった子は全体の1/3くらいですが,親としてはそれぞれの子ども達の成長ぶりにすこし感動します。入ったばかりの頃はまだおむつをして,言葉も話せなかったのに、今ではすっかり生意気な口をきいてきます。昨日も遊びにきたお友達に,恵伝はお姉さんの様な話し振りでした。彼女のヘブライ語はとっても語集が豊富で,先生も恵伝の言語能力は素晴らしいと言っていました。今年のお別れ会は,親達の前で音楽に合わせていろいろなダンスを披露してくれました。中にはストーリー性のあるダンスもあり,入りたてのころの雑然とした中のでのパーティとは異なり、ビデオカメラを持って行かなかったのが悔やまれます。 お別れ会の数週間前から,恵伝は、子ども達がショシ先生ともうすぐお別れするのでみんなとなりに座りたがるので、競争があると言っていました。そして前日にはショシ先生にプレゼントすると言って絵を描いていました。年の初めにはいろいろとこの先生に問題を起こしていた恵伝でしたが,最後には懐いていたようです。
来年からは,彼女はちょっと遠くにある公立の保育園に通います。友達もみんな変わり新しい言葉のアラビア語も日常に入ってきます。この変化に適用できるかちょっと心配もありますが親としては楽しみな面もあります。
また前日にあったバレエの発表会は本当に子どもの成長に感無量といった感じでした。たった3年間で、赤ちゃんから一人前の女の子になる恵伝の成長と同じ3年間でいったい何が身に付いたのか疑問の親とは雲泥の差ですね。

May 9, 2011

April

今日のイスラエルは戦没者記念日。テレビやラジオは一日中悲しい話でいっぱいです。子どもたちも今日は白と青の服を着て保育園に行きました。恵伝が,なぜ白と青の服なのか(本当はピンクの服が好きなので)聞いてきました。イスラエルの建国のいきさつや戦争の概念を説明するのはとても難しいです。取りあえずイスラエルが生まれる時,難産でたくさんの人が死んだと説明しました。本当はそこでパレスチナ難民が生まれたことも話さなければ行けないのですが,そこまで説明できませんでした。彼女はまだなぜイスラエルが生まれると人が死ぬのか良くわからなかったみたいです。保育園では国旗の話があったようで,日本の国旗もわかる様になりました。すこし国の概念がわかってきたようです。来年行く保育園(ハンドインハンド)ではこの日はどういう風に説明してくれるのでしょうか。 クフィールは,10ヵ月目に入り,私の後追いが始りました。彼の視界から姿を消すと泣きなから探しにきます。今は家中,ハイハイしながら移動しています。おすわりもしっかりできる様になり,最近は立ちたがります。恵伝も良くクフィールと遊んでくれます。

Mar 30, 2011

March,

2月後半から3月いっぱい仕事が立て続けに入っていたので,子育ては母にお願いしていました。そのお陰でクフィールはもうすっかり母に慣れています。私が仕事から戻ってくると見せる笑顔は母にもします。私がいない間に離乳食もごっくん期からもぐもぐ期に進み量も増え,最近小さい歯も少し見え始めています。クフィールは平均より背が高いようで,その分体重自体は身長に比べるとやや少ないようです。確かに7−8月頃の恵伝を見るともっとぽっちゃりしていました。但し彼は良く食べます。最近は離乳食の作り置きもすぐ終わってしまいます。おすわりが10秒ぐらい,ハイハイは30cmくらいです。そのため移動するのはもっぱらゴロゴロと転がるか,腹這いでぐるぐる回転しています。恵伝はこの時期にはハイハイして猪のように突進してたので,クフィールはのんびりやなのかなと思っていたら,今日だっこするとしきりに足を伸ばして立とうとしていました。一気に立つのは難しいからクフィールに順番に成長しようねと諭しました。性格は穏やかで,一人でもよく遊んでいます。恵伝との大きな違いは,生活のリズムが一定でどんな時でも夜8時には眠くなり,朝6時には起きています。先日2日間だけ子ども達の休日と仕事のOFFが重なりニシムの実家に行きました。従兄弟達に混じってクフィールも興味深そうに参加していました。

Feb 15, 2011

February, Eden's Birthday month

2月は恵伝の誕生月,4歳のお誕生日会は保育園と家族で2回しました。実は最近恵伝のクラスでは,夕方会場を借りきってクラスの子達全員を招待するお誕生日会が続き,恵伝もやりたがっていました。しかしこれはかなりの出費で今の私たちには負担が大きいと今回は恵伝に納得してもらい,しかし保育園のお誕生日会にはニシムや母の友人たちも参加してくれました。子ども達の前で母と友人たちが日本の歌を歌ってくれたのでクラスの子ども達の間では好評だったようです。後日何人かのお母さん達が教えてくれました。 弟のクフィールも生まれて,今はお姉ちゃんの風格も出て来たようです。

Jan 1, 2011

A happy New year

みなさん明けましておめでとうございます。 先日も書きましたが、イスラエルはこの時期が公式的には新年ではないので、これといった休日もなく日々が過ぎて行くのですが、今年は大晦日が金曜日の安息日に重なったので少し趣がありました。先週インドに行っていたニシムが無事帰って来て久しぶりに一家で彼の実家に行きました。義母さんは他の兄弟たちにもごはんを食べにくる様に声をかけたらみんなやって来て、お祭りの時のようにみんなで夕食をしました。また妹のハガルは子ども達みんなにおもちゃのプレゼントまでくれました。 イスラエルではこの新年を「一般的な新年」と呼び、ユダヤ暦の新年と区別します。それでも若い人を中心にちょっとした外出のチャンスになり、レストランなどの料金は軒並み上がります。あえて言えば日本のクリスマスの様に宗教的意味はないけど、ヨーロッパなど世界の多くの国々が祝うのでちょっとしたお祭り気分になるのでしょう。 ところで日本ではお正月三が日は、たくさん食べて飲んで何もせずのんびり過ごしますが、まさにこの過ごし方がユダヤの安息日なのです。今日の土曜日は、本当にゆっくり過ごしました。恵伝は最近従兄弟の家にすぐに遊びに行ってしまうので、私はクフィールの面倒だけになり、また義母や義姉も彼の相手をしてくれるので昼寝したりして休みました。 最近、再び週3回、朝から4時間ほどヘブライ語のクラスに行く様になったので(新移民の特権で半年間は無料で受けられるのです)一週間があっという間に過ぎて行きます。2人の子どもの世話と勉強に両立は本当に難しく、同じ寮に住んでいる学生のお母さん達はどうやってやっているだろう不思議に思います。一週間の終わりにはくたくたになってこの安息日を心待ちにしています。朝起きて時間に追われながら準備をする事や、食事に頭を悩ます必要がないので安息日は本当に気楽です。それでも子ども達の世話はNon Stopですか、ニシムの実家に行けば大家族なので負担が分担されて今日のように休めるのです。ユダヤ教と言うと堅苦しいイメージがありますが、私はこの安息日が大好きです。 また今年で恵伝は4歳に、去年はクフィールが生まれ実り多い年でしたが、今年はさらに家族4人で充実した年になると良いなと思っています。