Jan 18, 2009

2009 starting with ....

年が明けて、3週間、ガザでの戦争も3週間が経ちました。エルサレムはガザから遠い町の一つなので、ロケットが飛んでくる心配も無く、私達は安穏と暮らしていましたが,先週ちょっとしたハプニングがありました。
まず水曜日の昼1時ごろサイレンがエルサレムの町に鳴り響きました。たまたま恵伝は風邪で保育園をお休みしていて私と家にいました。私は取りあえず外の様子を見に窓に行きましたが,風景は何も変わらず何人かが私の様に様子を見に外に出て来ているだけです。その後ニュースをつけてみましたが何も案内はなく,ニシムは授業中で電源が入ってなく、家の防護部屋である寝室に恵伝を連れて行くか私は考えました(イスラエルの家もしくは住宅地には防護部屋が必ずあります)結局これといった違いはないのでそのままにしていました。30分後にニシムのお姉さんが電話で”サイレンがエルサレムで間違えて鳴ったけど大丈夫?”との知らせがあり,あのサイレンの理由が分かりました。夜のニュースでもこの珍事が報道されていました。時期が時期なのでみんな一瞬ぎょっとしたようです。
金曜日の夕方は家の近くで銃砲の様な音が何回か聞こえました。夕食の頃また鳴ったので窓を開けて様子を見てみました(アラブ人たちがよく結婚式で花火をあげる音が銃砲の様に聞こえる事も多いので)ただこの時は大学の裏の方から“アラーアクバル”と叫ぶ声が聞こえて来ます。銃砲の音も断続的に聞こえ、空が一瞬明るく見えました。私達の住んでいるあたりはちょうどアラブ人の村イサウィアなどが丘の東斜面ありその辺りから聞こえて来ます。ニュース速報などを調べたけれどこのことは何も書かれていません。30分くらい銃声が断続的に鳴り響いたあと静かになりました。金曜日はイスラム教徒の合同礼拝が行われます。今週は戦争中という事で、エルアクサ•モスクには男性は50歳以上のみ入場が許可されると朝報道がありました。これは礼拝後のデモから暴動に発展するのを防ぐ目的があります。多分それで町の外でデモが行われたのでしょう。結局この事はその後も報道されなかったので、死傷者などはなく終わったのでしょう。
そんな中イスラエル側からの一方的な停戦が昨日から始まりました。しかし今日,日曜日も相変わらずロケットが飛んで来て、イスラエル側のヘリコプターもガザ上空を飛んでいる映像が流れています。昼間歯医者でそんな映像を眺めていたら、ニシムが私に”case fireなのに”とつぶやいた瞬間,隣のおばさんもこちらを見て深いため息とともに同じ言葉を繰り返しました。
それでも夜のニュースでは予備役で集められた兵士たちが家に一旦帰って来た映像やガザ内部から戻って来た兵士たちの映像も流れ、しばらくイスラエル側は様子を見る態勢に入ったようです。
追伸 恵伝は元気です。